企業を、社風を良くするという
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する馬場です。
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ブログスタート2031日目です
アメブロから
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先週、自身のインフルエンザで
リスケジュールした仕事の一部を
今日終えて、年内の仕事を終えました。
リスケジュールした仕事の一部を
今日終えて、年内の仕事を終えました。
名古屋駅付近にも居たのですが、
柳橋市場付近は人出も多く、
賑わってましたね。
ある会社の評価制度を策定したのですが、
色々、社内で別の問題もあり・・・
運用に至るエネルギーが湧き上がらない
という相談を受けました。
「評価制度が、そもそも自分が今までやっていた
評価を楽にするものだ
という意識を持っていたのだが、
実際に評価してみると楽ではないのが分かった・・・」
とのこと。
評価を楽にするものだ
という意識を持っていたのだが、
実際に評価してみると楽ではないのが分かった・・・」
とのこと。
それはそうですよね。
本来、人が人を評価するのは
とてつもなく難しく、
本来出来ない筈の物です。
本来、人が人を評価するのは
とてつもなく難しく、
本来出来ない筈の物です。
ただ、それは全人格的に評価
しようとするからです。
しようとするからです。
社長だって人間なので、
全人格に評価など出来る訳がありません。
全人格に評価など出来る訳がありません。
職業裁判官だって、
人を裁くことが出来るのは
法律があるから、
その範囲内だけです。
人を裁くことが出来るのは
法律があるから、
その範囲内だけです。
評価制度で評価するのは、
経営陣がその社内において、
どう評価するか、です。
経営陣がその社内において、
どう評価するか、です。
エゴの塊でOKなんです。
評価項目の正しさは必要ありません。
後で、何を基準にどう評価したかを
説明出来ればよいのです。
後で、何を基準にどう評価したかを
説明出来ればよいのです。
結果的に評価の納得性が得られずに、
退職に至る事もあるでしょう。
退職に至る事もあるでしょう。
でもそれは、
評価制度の内容というよりも、
評価出来る事実集めを1年間出来ていなかった、
という事。
評価制度の内容というよりも、
評価出来る事実集めを1年間出来ていなかった、
という事。
それで去っていくなら仕方ない事です。
社長と社員、という関係でなくても、
人への評価(感じ方)が違えば、
去っていく事は珍しくありません。
人への評価(感じ方)が違えば、
去っていく事は珍しくありません。
誰であっても去って欲しくなければ、
自分の中での評価基準を
下げていくしかありません。
自分の中での評価基準を
下げていくしかありません。
ある一定の基準の評価しか得られない人は
去っても構わないという覚悟がないと、
評価基準を高く維持することは出来ません。
去っても構わないという覚悟がないと、
評価基準を高く維持することは出来ません。
制度の作り方によっては、
どちらも有り得るという事です。
どちらも有り得るという事です。
本日も読んでいただき
ありがとうございました。
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